国会で堂々とオカルト施政方針演説をぶつ首相をかかえてしまった日本・・・。
私はあの鳩はきっと何かをタクランでいるカッコウだと思う。
そして時には、カメレオンのように擬態のワザを身につけた、実は表裏を使い分ける二枚舌のコウモリではないかとも思う・・・。
《私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。》
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1263631433/
(追記2/1)
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まるで、どっかのカルト教祖が、「死ぬ死ぬ」教義をふりまいて、予算クレクレオネダリ演説をやっちゃってるようなものだな・・・。「劣化スパイラル」どころの話じゃないよ。トホホだぜ。
いのちを、守りたい。
いのちを守りたいと、願うのです。
生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。
(中略)
地球のいのちを守りたい。
この宇宙が生成して137億年、地球が誕生して46億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活をおくれるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの1万年は、ごく短い時間に過ぎません。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えています。約3千万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約4万の種が絶滅していると推測されています。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活をおくることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気づかなければなりません。
私たちの叡智(えいち)を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です。本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務めます。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければなりません。
(以下略)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/351640/
まさか、自分の目の黒いうちに、こんな文学ちっくな、いやオカルトそのもののカルトな思想に彩られた真正の国会施政演説を聞くことになろうとは思いもしなかったぜ・・・。本当にこれが政治と行政のコトバなのだろうか・・・。恐るべきことだ。
そしてまた、ふたたび「京都議定書」の轍を踏むことになるのかね・・・。
生物史のなかで、種の「絶滅」なんていうできごとは、日常茶飯のありふれたことだという認識はできないのかな? そんなことで、大変だ大変だと不安を煽る恫喝言辞は、自閉症傾向を有した学習障害者的性質性格の人間の中で通用する気違い言語そのもの・・・。正常正気な人間は、ぜったいに騙されてはいけない。まるでカルト教義そのものなのである。
[MM日本国の研究582]「リアリズム」(東京新聞夕刊コラム「放射線」より) 2010/01/28
http://archive.mag2.com/0000064584/20100128163000000.html
「リアリズム」
ちょっとした伝達事項でもよく齟齬が生じる。情報が多すぎてもダメだし、言葉が不足してもダメ。的確に伝える文章とはなにか、である。
日露戦争当時、日本の連合艦隊はロシアのバルチック艦隊が大挙してくるのを対馬沖で待ち受け、全滅させる作戦をとった。『坂の上の雲』に登場する秋山真之は、そのとき連合艦隊の参謀で、偵察艦から「敵艦見ユ」の電文が入り、出撃態勢に入った。
東京の大本営に打電する。
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は今日ではよく知られた文章である。
「撃滅セントス」までは部下が書いた。そこに「天気晴朗ナルモ浪高カルベシ」との予報が届く。かつて文学青年だった秋山少佐が手を加えた。作戦用の文章が少し文学臭くなった。
海軍大臣の山本権兵衛は怒った。美文は「事実を粉飾して真相を逸」する、と。だが、晴朗だから敵艦を見失わず、波が高いから洋上では双方とも揺れが予想される、と秋山の電文は要所を押さえている。
司馬遼太郎は、秋山に分があるが、山本の精神も正しい、と認める。小国日本が、大国ロシアに滅ぼされるかもしれない。緊張のなかで責任者の山本が「詩で書かれてたまるかというリアリズム」を求めたのも当然だった。
このごろ政治の言葉が軽い。一国の運命を決める場面で、短い報告ひとつにどれほど真剣に向き合ったのか、教訓にしてもらいたい。
(東京新聞夕刊 10年1月8日金曜日掲載)
饒舌冗長冗漫このうえないものの上に、さらに美辞麗句巧言令色修辞法をこれでもかとちりばめ装飾の限りをつくして、視点はもはや地上を超えて天界の領域から・・・。
これはもはや詩や文学なんてものじゃない、新興宗教の教義そのものである。それが今の日本の政治舞台で発せられてしまったのである。もはやリアリズムなどという正気は日本の政治の舞台には存在していないというほかない。
もうわれわれは、正気のレベルには居らないということを意識するようにつとめよう。とても尋常な沙汰ではない。
今がまったく、ドラッカーの『「経済人」の終わり』に描かれている、「魔物たちの再来」の状況そのものである。
《彼らは現在を生きなければならない。しかし現在を生きるには、信じられないものを信じ、幻影にすぎないものに熱狂するために、麻薬の量を増やさなければならない。》
《幻想であることを知りながらそれを信じなければならないことの矛盾を解くことは、いかなる人間にもいかなる組織にもできない。》
《ファシズム全体主義に神は存在しない。しかしファシズム全体主義は自らの矛盾を解くために、悪魔、超人、魔術師を必要とする。ここにおいて、邪を正、偽を真、幻を現実、空虚を実体に変えるために、「指導者」が必要となる。》
《彼は、基本的な矛盾の解消を体現する悪魔的存在である。したがって彼の権力は、大衆が絶望した挙げ句に渇望する信条を、彼ら大衆の心にもたらし続けるかぎり正当化される。》
《全体主義の指導者原理には、哲学上の系譜も政治理論上の系譜もない。》
《ファシズム全体主義における指導者の役割は、自らのカリスマ性によって社会を救うことにある。》
(ドラッカー『「経済人」の終わり』)
http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/559109/
《いのちを、守りたい。いのちを守りたいと、願うのです。》
反吐が出そうだ・・・。
《絶望を語ることはたやすい。しかし希望を語ることは危険である。 わけてもその希望が一つ一つ裏切られてゆくやうな状況裡に、たえず希望を語ることは、後世に対して、自尊心と羞恥心を賭けることだと云つてもよい。》
(三島由紀夫『文化防衛論』)
site:koibito.iza.ne.jp 希望を語ることは危険である


by ニッポニア・ニッポン
「パンデミックはくるんだよっ…