巨大な「錯覚」が独り歩き?!
【イザ!「猛威はしか」特集】
嘘・大袈裟・紛らわしいの「はしか」騒動、集団ヒステリーにまんまと乗せられてしまったようだな。
飲酒運転撲滅運動、学校のいじめ・自殺騒動、ノロウイルス、鳥インフルエンザ、高校の単位偽装騒動、あるあるタミフル副作用騒動・・・。なんだか、下らない騒動を煽ることばかりだ、日本のマスコミさん。
この「はしか」騒動も、やたら怪しい騒ぎだと思えないか? ワクチン集団接種の制度化を目論んでいるのならば、いわば「ワクチン利権」なものの思う壺なのかもしれないね。
「はしかウイルス」フリー(非感染経験者)ってものの実数がそんなにいるとは、どうしても思えないんだけどね。
たぶん、「母子手帳」をもたない方々が多いのではないかと・・・。日本国籍じゃない方々はどういうワクチンプログラム体制の中にいるのか。
カラ騒ぎや偽装ではないかという可能性もありはしないかと。「息を吐くように嘘をつく」方々だったら・・・。
空気感染のウイルス感染症対策なんてのも、結局は、集団的な防御なんてものじゃなくて、あくまでも個人の責任(自己責任)での健康管理の留意事項に過ぎないのだが・・・。「感染」(うつす・うつされる)が問題なんかじゃなくて、あくまでも個人的な「発症」だけが問題になるだけの話だ。集団予防というのは、インチキ・ペテンの類だな。個人的な免疫獲得についての知識を促しておけば良く、なんら任意推奨であって問題はない。唯一集団接種体制でメリットがあるのは、ワクチン関連産業の都合だけだろう。
結局、国費タカリ利権(天下り産業)になりかねないのだけどね。
3Kの中にも、層化学会の信者あるいは、エージェントがいるのではないか、と思わなきゃいけないくらいじゃないか?
「はしか」「風疹」「ポリオ」に関して、ワクチンの接種体制は、接種率からいっても知識普及からいっても、なんら不自由を感じるものではないということもまた、確かなことである。いまの騒ぎは、さもさも、現行のワクチン接種体制に不備があるかのごときイメージを誘導してしまうほどの危うさを感じてしまう。絶対数はそれほどでもないに関わらず。
国立感染症研究所の発信する情報は、あまりにも胡散臭いということも確かだ。
よくある、中央省庁あるいは、関連の法人が発表する世論調査のようなインチキ臭さをも感じる。この国の役所の仕事や政策制度は、あまりにも恣意的な作られ方をしているということも疑って勘ぐっておかなければならないかもしれない。
「政策」は、必ずしも「政治」主導ではないということを見通しておかなければならないということでもある。
「官僚とマスコミ」の癒着と「霞ヶ関テルミドール」には、国民として、みなの目で監視が必要だと思う。
(以上、5/28追記)
----------------------------------------------------------------
ワクチン接種は、「感染」を防ぐための目的をもったものではけっしてない、ということをまずはしっかりと認識しておきたいものである。
感染と発症を混同しないようにしたい。感染は常にある。発症は免疫を持たない人が初めて感染(初度感染)したときに目に付くだけのこと。
米国で日本人の子供が発症して悪者みたいに言われることがあるが、それはいわば誤解から発している。
ワクチン接種を含めて、キャリアだらけのところに、ノンキャリが入り込むから、発症が目に付くことになっているだけのこと。
感染は常に起こっていても、キャリアだらけのところでは、発症が目に付かないだけのことなのである。
うつされて発症するのは、あくまでも免疫を持たないもの、つまりワクチン接種(擬似感染)を含めて感染経験のない者だけが問題になるのであって、顕性・不顕性含めて、感染経験のあるものには、健康上いっこうに関係のないことなのである。
【主張】はしか流行 ワクチン接種で感染防げ 5/10
《はしかは一度かかると、終生免疫が得られ、再び感染することはまずない。しかし、治療は対症療法しかなく、事前にワクチンを接種して予防するのが、最良の対策である。》
ワクチン接種で予防できるのは、あくまでも発症であって、感染を防ぐものではけっしてない、ということはきちんと認識しておきたい。
《感染しているのは(1)予防接種していない(2)接種しても抗体ができない(3)抗体が弱まった-人たちだ。》
ここは、感染ではなくて、発症である。(3)抗体が弱まった人というのは、果たしてどうだろうか? あるとすれば、ワクチン株のみの経験しかなく、野生株に感染した経験がない人が該当する。
《予防接種は平成6年に「義務」から任意の「勧奨」に切り替わって学校での集団接種がなくなった結果、10代から20代に接種していない人が目立ち、そうした若者がはしかに感染しているようだ。自然に感染して免疫力のつく機会が少なくなったことも流行の原因らしい。》
集団接種がなくなったのはたしかに顕性感染としての流行をもたらしていることは事実だが、あくまでもそれは表面的な現象であって、集団ワクチン接種を実施しようがしまいが、実際の感染流行は、目に見えない形、つまり不顕性感染としては、季節の変わり目に常に起こっているとみなしておかなくてはならないはずだ。感染流行は、その実、目につく発症が流行しているいないにはあまり関係がない。感染は常におこっている。発症が目に付かないだけで。
《大人になってから感染すると、症状は重い。「子供がかかる軽い病気」と侮ってはならない。比較的症状の軽い幼児期にワクチンで抗体(免疫力)を付けておくことが大切である。》
いかにワクチン接種で擬似感染を経験させたとしても、終生免疫を獲得するには、やはり野生株に感染経験しておくことに勝るものはない。
《運悪くはしかにかかったら人にうつさないようにしたい。》
免疫を持っている人にとっては、何ら問題にはならない。むしろ繰り返し繰り返し感染を経験しておいた方が有利とも言える。「うつさないようにしたい」という概念は、はっきり言って間違いだ。うつすという意味を、発症のことをさしているのであれば、かならずしも感染が即発症につながるわけではないし、すでに免疫を獲得している人にとってはウイルスの感染は重要なことではない。多少、気をつけるのは、体力をおとしてる人や妊婦さんあたりではないか。
《厚労省は昨年4月から小学校入学前に2回の接種を勧めているが、さらに対象の拡大を検討したらどうか。》
免疫獲得という観点からみれば、必ずしもワクチン接種ですむ問題ではない。必ずや野生株の感染を経験しておく必要があるということである。ただし、その時、発症を経験するかしないかの差異がでるということである。
ワクチンを接種しても、野生株の感染を長らく経験しないまま過ごしてしまえば、おそらく、免疫を確立しないまま抗体産生能を低下させ、必ずや野生株に感染したとき、発症することになるわけだ。(まずほぼそのような可能性は高くないわけだが。つまり大概は、野生株に知らず知らずのうちに感染(不顕性)してるわけだ。)
ウイルス感染において、「発症」はなくとも「感染」は起こっているというのは、そういうことなのである。まだ感染経験がなく免疫を獲得していないものが発症して目に付いているだけのことなのである。同じ条件の生活履歴でも、発症するものと発症しないものがいるのもまたそういうことなのである。
つまり、
「ワクチン接種で感染防げ」は、間違いなのである。
ワクチン接種で「感染」は防げないのである。
防げるのはあくまでも「発症」なのである。
正確に言うとするならば
「ワクチン接種で〝発症〟防げ」なのだが・・・。
(とはいうものの、わざわざそんなことを言うのも、非常にマヌケに見えるわけだが・・・。)
あくまでも、顕性感染者は、“感染実態”の目安(センサー)だと思っておけばよいだけだ。気温を知るのに温度計があるようなもの。
実際の感染(顕性・不顕性)があることによって、われわれは常に抗体を維持していけるのだ。100%ワクチン接種を完璧にやって、きっちり発症を抑え込んで、なるべく感染を起こりにくくしてしまうと、逆に、終生免疫がつきにくい状況になるということも事実である。だから、ときたま、おたふく風邪など、ワクチン接種をしていても発症罹患することも起こるのだ。
何度もワクチン接種をしたほうがいいというのも、終生免疫獲得(自然株感染)が、ワクチン接種をすることによって不明確になるからである。ワクチンによる抗体が減衰しないうちに自然株に罹っていれば自ずと不顕性感染のまま免疫獲得、キャリア(感染経験済み)になるのだが、それはわざわざ抗体保有検査をしなければわからないからである。
ゆえに、感染が顕性化し(発症)、「はしか」感染流行が目に見えるということは、非常にラッキーなことなのである。ワクチンのなかった時代ならば、本来、小さい子供は、この時期に積極的に罹っておくべきなのだ。わざわざ罹っている人の近くに行ってはしかをもらいにいったものだったのだ。そういう昔の大人の知恵が今は非常に伝わらなくなってしまった。頭にあるのは、臭いものに蓋、忌み嫌うものは排除根絶撲滅の思想だけだ。それを貧困な精神と言わずしてなんという。
『ウイルスはどこにでもいる』
『ウイルスは生物をどう変えたか―進化の演出者・ウイルスの世界を探る』
『免疫学入門』
『ゼロ歳からの免疫力』
【つれづれすくらっぷ ウイルス】
(2007年5月10日)
-----------------------------------------------------------------
【産経抄】5月11日 5/11
《「はしか輸出国」の汚名を返上するためにも、国民総ぐるみで戦わなければ。》
(笑)。だからオカルト新聞と揶揄されるのだ。
「命定め」の意味を本当には理解しておらないようだ。情けない話だ。感染研の学者のウソを鵜呑みしてしまってるんだろね。ワクチン屋さんの走狗になりさがってるよ。いくら商業紙だからといっても、科学的な事実を歪曲して報道するのはいかがなものか。「ウイルス感染症を制圧する」などという発想は、よく言って人間の一方的な一人相撲、わるくいえば、人間のあるいはそのように思ってしまう人間の不遜傲慢以外の何ものでもない。いかにウイルス学や感染学について知識の無知が原因になっているといっても。
まずは、自分が実際に罹った経験があるか、あるいは、予防接種を受けたことがあるかをよく思い返してみたい。一度でもあれば、大概は、われわれはみな「はしかウイルスキャリア」である。となれば、発症しないだけで、常に(季節の変わり目など)、うつしうつされは(感染)つねに日常的に起こっているのだ。
だが、それは目に見えない。
そしていま、発症が目に付くのは当然のことなのだ。そのこれまで一度も〝感染〟〝発症〟の経験のなかった者〝だけ〟で起こっている現象なのだから。それは毎年おこってきたことだ。なぜ突然にふって湧いたように今年だけさもさも特別であるかのようにネタにとりあげるのかね?
鳥インフルエンザにしても、ノロウイルスにしても、情報屋さんは少し(あまりにも)エキセントリックすぎるぜ。まるで集団ヒステリーをわざと目論む狼少年のようだな。
インチキ科学には引っかかるなよ、3K記者たち。
それとも、なにか宗教的な思惑でも背負ってるのかね?
「戦争」と「天災」と「疫病」は、人類史の中で、人間の妄想的宗教心の源泉であるということはたしかなことで、そのことがまたさらに数多の悲劇をも生んできたことも事実である。
やはり、「撲滅」ってえのも、やたら怪しいアカいアカいタームだな。
(以上5/11追記)
またまた針小棒大報道の様相だな。
情報流通に関わる本人達にとっては、心象膨大になっているのかもしれんが・・・。
中国の風邪薬シロップ用のニセ甘味料問題や、小麦粉の有機化合物メラミン?禍のネタが矮小化というより、ほとんど表になってないように思いますが・・・。
内閣府や厚生労働省や農林水産省は、何をしてるものやら・・・。
【華禍】
第1章 「華禍」の恐怖は「黄禍」を超える
第2章 原理主義より中華主義が怖い
第3章 流民と殖民で膨張を続ける中華帝国
第4章 中国の「平和的浸透力」はやがて世界を埋め尽くす
第5章 世界にはびこる中国国際流民の凶悪犯罪
第6章 世界を脅かすニセモノと仮面の中国
第7章 世界を襲う中国発の疫病と地球汚染
第8章 軍国主義へ狂奔する中国の行方
いよいよ目覚めるか?日本人。
ウイルス感染症ってのは、早く罹って済ましちゃった者勝ちってことが原理原則で、それに関して「現実」主義である中国はどうやっても有利である。
つまり、罹っても生きるものは生きて死ぬものは死ぬ、という姿勢の者には何人も勝てない、ということもまた自然の摂理である。
しかも、人間のウイルスのキャリアは罹った経験のある人間である。空気感染(飛沫核感染)するものほど、ワクチンの技術などで「発症」は免れ得ても、こと「感染」に関しては、それを防御したり回避するなどということは不可能である。人の移動や交流を全くやめてしまわない限り。それのほうが非現実的である。
(追記5/12)(追記5/14)
【finalventの日記 2007-05-21】
《まあ、それほどリスクの高い病気でもないし。ってか、どうもこの騒ぎがよくわからん。この騒ぎに乗じてあの馬鹿げたBCG復活を誰か画策しているか?
世界的に流行っているっぽいが》
(追記5/21) 2007年


by 9月
【パンデミック幻想の黄昏】「…