『三島由紀夫が復活する』 小室 直樹 (著)
毎日ワンズ (2002/11)
http://www.amazon.co.jp/dp/4901622013
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【軍事評論家=佐藤守のブログ日記
■憲法に身体をぶっつけて死ぬ奴はゐないのか!
《今再び三島由紀夫の激を再読してその偉大さが偲ばれる。25日に都内各所で行事があるようだが、私は日本を離れ、中国の研究者や軍人達と「対話」してくる予定である。
タレント化した今の政治家達に、三島由紀夫の遺言を語って聞かせても無駄のようだから、国民の一人ひとりがもう一度彼の「遺言」を読み返してみるべき時なのかもしれない。》
■YouTube
「私の中の二十五年」
「檄」 楯の会隊長 三島由紀夫
われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流した我々の汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずにして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを見た。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名前を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。
もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質な欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲がつた大本を正すといふ使命のため、われわれは小数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こつたか。総理訪米前の大詰といふべきこのデモは圧倒的な警察力の下に不発に終わつた。その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起こつたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不要になつた。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自身を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる!政治家にとつてはそれでよからう。しかし自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまつた。
銘記せよ!
実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつて悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議會主義政黨を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、その日を堺にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、なんたる論理的矛盾であらう。男であれば男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。
しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本から来ないのだ。シヴィリアン・コントロールは民主的軍隊の本姿である、といふ。
しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。この上、政治家のうれしがらせにのり、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。
われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。ともに起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
(昭和45〈1970〉年11月25日)
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成17年(2005年)11月23日(水曜日)貳
通巻第1309号 <<憂国忌直前 増大号>>
からコピペ
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『偽善系 正義の味方にご用心!』 日垣
第一章 怒れ!日本人
《三島由紀夫が自害の四ヵ月前に書いた一文を、その死の翌春、中学生になったばかりの私は、やや興奮しながら友人と一緒に図書館で読んだ。「私の中の二十五年」というタイトルだった。三島がその一文をしたためたのは昭和四十五年七月。むろん「二十五年」は終戦を基点にしてのことだ。》(p.14)
《『このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代りに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。』
再び三島の一文を思い起こさざるをえない。》(p.53)
【国を憂い、われとわが身を甘やかすの記】
■CDを聴いて不覚にも泣けてきました 2007/11/11
《英霊来世(エーレイライズ)という三人組のラップ音楽バンドが今年8月15日に発売した「矜恃」(大東亜レコーズ)というファーストアルバムです(見れば分かりますね)。この三人の芸名が、「斉藤〝七生報国〟俊介」「ムック〝五穀豊穣〟モノノフスキー・雅人」「アキーム・万世一系・吉村」というものでした。あと、「山崎〝八紘一宇〟剛史」という人も参加しているようです。気合いが入っているというか、ぶっ飛んでいるというか。添えられたパンフレットのカラーコピーには年齢は記されていませんでしたが、写真を見たところ20代かせいぜい30歳そこそこに見えます。私はラップと言われても疎いので、歌詞カードを読みながら聴いていたのですが…。》
ご都合で、他人事で、抜け目がなくて、小賢しくて、隙あらば無知につけこんで・・・。そういう統治が平然と行なわれている今の日本であった。十七条の憲法を起草したブレーンもまたさぞや嫌われて、闇に葬らんと暗殺を企てられたやもしれんし、実際にやられたかもしれん。それがまた、聖徳太子というシンボリックな、ひょっとすると仮想架空の存在を生んだ元になっているのかもしれないし、そこにもまた日本の「空気」があったのかもしれない。今も昔も、現実はダイナミックであったろう。国を維持していくというのは、あくまでも、並々ならぬ「政治」の不断の意志・覚悟の強さの結果にすぎないものであろう。
【憂国忌‐Google検索】
ミシマも、ノーベル文学賞が川端でなかったならば、かなりちがった文豪としての地位を築いていたのではなかったか。残念といえば残念。ポストモダンにかぶれたヘンな文学がやたらにもてはやされることもなかったかもしれない。「なんクリ」とかも。いまでこそ、なんちゃって国際賞なんだけどね、ノーベル賞。いやはや、今年のゴアの平和賞には吹き出してしまったよな。あのプルシナーの「プリオン仮説」の受賞も、ヘンなペテンに引っかかっちゃったもんだけど・・・。とうとう「不都合な真実」に引っかかるとはね。いつの時代もペテン師は絶えないものだ。詐欺師泥棒淫売は人類の歴史とともにあるというのはホントかもね。なかなか「科学の方法」の思考作法は身につかないものだな。マヤカシにもかんたんに引っかかるし。
《(宮崎正弘のコメント) おおいに嫌われましょう。》
国費のタカリ制度政策の中にかなり奥深く巣食っている状態になっているようなのだが・・・。
(2007年11月13日)


by 9月
【パンデミック幻想の黄昏】「…