生かすことと、生かされることと・・・。
■読者評にすごいことが書いてある
2008-08-03【finalventの日記】
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080803/1217717478
《「この本は、赤塚不二夫のことが知りたくて購入したが、読み終えたあとは不快感しか残らなかった。結局自分のことが書いてあるだけだ。赤塚不二夫は紛れもない天才だが、天才がペンをとらなくなった後もこうして、それをネタにして、搾り取る類の人間だ。読んだあとは、すぐ捨てました。 」》
《「この本を読むと、『バカボン』のマガジンサンデー移籍事件のころに何があったのか、どうして赤塚ほどの大物が業界で潰されてアル中になったのか、が、わかる。ジャンプの全盛時代に、手塚はチャンピオンに乗ってはい上がってきたけど、赤塚はセンスの古いマガジンやサンデーに義理立てして、編集者に振り回され、急激に読者との関係を絶たれてしまった。石森や藤子、つのだ、古谷だって、その後に生き残ったのに。編集者って、マンガ家と読者をつなぐのが仕事じゃないのか? この本に書いてあることは、編集者の自画自賛。だから、それを突っ放して読んでこそ、もはやもの言わぬ赤塚側の言い分が聞こえてくる気がする。 」》
《ぞっとするほどの問題があるんだけどね。》
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《赤塚「ところで、最近の漫画見てどう思う?似たりよったリの作品が多いでしょう」
タケカワ「そうですね。ノウハウができちゃっているということでしょうね。音楽界にものすごく似ているんですよ。マーケットがでっかくなっちゃうと、当たり前のものが増えちゃうんですよね。僕らがロックやり始めた頃はお客さんがすごい少ないですから。赤塚さんが漫画を始めた時の売れ方は、今と全然違うじゃないですか。そういうのに似ているんですよね」
赤塚「個性があったんだよ、みんな。今の雑誌は読んでいると、気がついたら隣の作品を読んでいるんだよ」
タケカワ「変わったのがわからない」
赤塚「絵がほとんど同じ」
タケカワ「ありますよね」
赤塚「読むほうもそうだよ。昔の読者は今のガキどもと違って、セリフを一つづつちゃんと読んでくれていたんだよ。だから描き甲斐があったの」
タケカワ「誰かが話しかけても返事をしないというような読み方でしたよね。うちの数ある子のなかで、1人そういうやつがいますけどね。漫画喫茶でバイトしたいと言って」(笑)》
《赤塚「やっぱり、漫画描くの早すぎた」(笑)》
http://www.mediatv.ne.jp/musicpro/takekawa/12/kiji_02.html
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赤塚不二夫もまた、「イノベーションの本質」を、常に見続けたものであったような・・・。そのような天才的表現者を、できるだけ娑婆につなぎとめておくための手綱を握るのも、「編集者」や「マネジャー(マネジメント)」の役割・・・。
■過去のメディアが今のメディアと競合する時代
2008.07.31【極東ブログ】
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/07/post_402e.html
《今は過去の上に成り立っているとしても、たぶん80年代あたりからか、今が過去のコピーというかメディアの上に成りっているみたいな錯視感に変わった。別の言い方をすると、60年代というのはなんでもやたらと「新しい」時代だった。そして70年代はその新しさが腐ったというか、マス化を含めて終わった時代だった。そして80年代になったら、もうリアルなものはなにもなくて、作品というか作られた映像から歴史が出来てきてた。ボードリヤールがあのころ、シミュラクルとかハイパーシミュレーションはリアリティって言ってたがよくわかったというか、吉本隆明もまだ元気でそのあたりニューアカのバイパスで格闘していたわけだけど。》
《シミュラクルとリアルの差のない、あるいは差が価値という歴史空間に生まれた人たちがもう立派な大人になっているのだし、その人たちがまた映像を作り出してしまっている。恋愛とかしているし子供を産んだり育てたりととかしている。えええ! そういう人間的な行為はメディアの外でするもんだぜ!、とか言いたくなりそうだが、そう思う自分も、実は文章のメディアとしては同じ構造の中を生きてきた。》
この国の法・制度をいじくり回す権限をもった組織の側に所属する人間は、本当に、この国の国民のチカラを生かすことを考えているだろうか? 「全体」を見誤ってはいないだろうか?
タスポとか、地デジとか、日雇い派遣業を禁止したかと思ったら、ちゃっかり自分たちの「お仕事」にするためだったりとか・・・。
【イザ!ニュース検索「赤塚不二夫」】
(2008年8月3日)
- 芸にひと目惚れ…タモリを発掘 赤塚不二夫さん (08/03 08:20)
http://koibito.iza.ne.jp/blog/trackback/667202
2008/08/03 18:23
◇赤塚不二夫さんの主な作品
56年 嵐をこえて ※漫画家デビュー
58年 ナマちゃん
62年 おそ松くん(65年第10回小学館漫画賞)
62年 ひみつのアッコちゃん
67年 天才バカボン(72年第18回文芸春秋漫画賞)
67年 もーれつア太郎
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080802-00000020-maip-soci
昭和10年生まれか・・・。私の父と同い年だったのか(私の父は数え60歳で亡くなったが・・・)。パワフルな人生を駆け抜けた年代であったような・・・。やることなすことすべてレールのない新しいことに全身でぶつかっていけた年代のような・・・。ある意味で羨ましい人たち。ヘンにこまっしゃくれたアタマを使わないでも、十分に思い描いたことを実現できた人たち。よくも悪くも、まっすぐに生きた人たち。融通のきかない頑固おやじといえば、そのまんまだったりするし・・・。
2008/08/03 18:29
【赤塚不二夫】
http://find.2ch.net/?STR=%C0%D6%C4%CD%C9%D4%C6%F3%C9%D7
赤塚マンガを語らう その6
http://anime3.2ch.net/test/read.cgi/rcomic/1206847912/
2008/08/03 18:41
[7981] 赤塚不二夫さんとフォーカスと「菜根譚」 投稿者:笹山登生 投稿日:2008/08/03(Sun) 09:10
《赤塚不二夫さんが、なくなられたという。
私が国会議員1年生のころ、本会議場で赤塚不二夫さんの「菜根譚」を隣の議席の久間文生さんと見ていたところを、写真週刊誌のフォーカスがその姿を撮影して、「本会議場で漫画を読む議員」というような見出しで、報じたことがあった。しかし、今、考えてみれば、この「菜根譚」にしても、その他の赤塚不二夫さんの「孫子」「葉隠」「「論語」「君子論」「五輪書」にしても、マンガ解説本のはしりのような存在で、決して、議場に持ち込んでも、それでもって非難されるようなものではなくなっている。
やはり、マンガに対する時代感覚が、当時とは、かなり異なってきているんだな--と思う。》
http://www.sasayama.or.jp/saboard/b_board.cgi
2008/08/03 19:29
■漫画家 赤塚不二夫さんが死去 8月2日 22時21分 NHK 科学・文化
「おそ松くん」や「天才バカボン」など、数々のギャグ漫画で一世を風びした漫画家の赤塚不二夫さんが、2日夕方、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。72歳でした。
赤塚さんは昭和10年に旧満州で生まれ、戦後、昭和29年に漫画家を志して上京し、藤子・F・不二雄さんや石ノ森章太郎さんなど多くの漫画家が集まった、東京・豊島区の「トキワ荘」に住みました。工場で働きながら漫画雑誌への投稿を続け、昭和37年に「おそ松くん」が爆発的にヒットして人気漫画家の仲間入りを果たしました。その後も「天才バカボン」や「もーれつア太郎」、「ひみつのアッコちゃん」など数々のヒット作を生みだし、作品の中で使われた「シェー」や「ニャロメ」などのギャグは流行語として一世を風びしました。赤塚さんは、タレントのタモリさんの才能をいち早く見いだし芸能界へのデビューに尽力するなど、若い才能の発掘にも力を注ぎ、漫画家では「ダメおやじ」で知られる古谷三敏さんや、「釣りバカ日誌」の北見けんいちさんなどが赤塚さんのもとで育ちました。こうした漫画界への功績が認められ、平成10年に紫綬褒章を受章しました。赤塚さんは平成10年に食道がんになったことを公表して、その4年後に脳内出血を起こし、創作活動を休止して都内の病院で療養を続けていました。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013300831000.html#
2008/08/03 19:32
■大勢のファン 赤塚さんしのぶ 8月3日 16時27分 NHK 科学・文化
漫画家の赤塚不二夫さんが2日に亡くなり、東京・青梅市にある赤塚さんの作品を集めた記念館には記帳台が設けられ、多くのファンが訪れて赤塚さんをしのんでいます。
東京・青梅市住江町にある「青梅赤塚不二夫会館」は、赤塚さんの作品を生かして地域の活性化をしようと地元の商店街などが5年前に作ったもので、漫画の原画およそ100点のほか、赤塚さんの写真などが展示されています。赤塚さんが亡くなったことを受けて、建物の入り口にある「バカボンのパパ」の像の右腕に喪章が付けられたほか、記帳台が設けられました。午前10時の開館とともに多くのファンが次々と訪れて記帳し、赤塚さんを追悼していました。京都府から妻の実家のある青梅市に帰省中の41歳の男性は「小さいころから天才バカボンが大好きで、元気が欲しいときには漫画やDVDを見ています。安らかに眠ってほしい」と話していました。青梅赤塚不二夫会館の横川秀利館長は「赤塚さんの漫画は昭和の元気そのものでした。博物館のお話をしたとき、『おれの漫画でいいのか』と言っていただいたことがほんとうにうれしかった。残念でなりません」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013307001000.html#
2008/08/03 23:50
【そのうちなんとかなるだろう】
【ハイ、それまでよ】
【わかっちゃいるけどやめられない】
http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/139844
【クレイジーシングルス】
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005GLDI
《雖然知道但無法停止
酔酔酔堕落楽多
酔堕落楽多酔酔》
http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/426351/
2008/08/04 12:17
■赤塚さん葬儀委員長に藤子不二雄(A)さん サンケイスポーツ 08:13
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/comic/166585/
2008/08/04 12:28
《「やさしさ」とか「なぐさめ」とか取り敢えず書いてると社説になると思うのは間違いですよね。》
■日経春秋 春秋(8/4) 2008-08-04【finalventの日記】
『▼「天才バカボン」などを生んだ漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなった。漫画を筆頭にアニメ、ゲーム、カワイイ服にイラスト文具。登場した時点では大人が顔をしかめたものばかりだが、今や日本の顔になり、東大の先生らが魅力や経済効果を論じる。若き日の赤塚さんは想像したろうか。』
《筆者、私より年配なら赤塚漫画をリアルタイムに読んでいたと思うのだけど、こういう感想になるかな。なんか微妙に変な感じ。》
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080804/1217803345
2008/08/04 12:44
と思って、3K症をちらと読み返したら・・・。
《思えば、「シェー」は、日本人が何かに憑(つ)かれたように、走り続けていた高度成長時代を象徴するギャグだった。》
【日本人が何かに憑(つ)かれたように、走り続けていた高度成長時代】
今、それから醒めているかのような物言いに対する、この違和感はなんだろう・・・。じゃ今は、何かにとり憑かれていないつもりなのだろうか? 高度成長期のイノベーションに満ち溢れていた活気ある時代に比べて、いまのとり憑かれの様は、それよりもまだ病的じゃないのか? 「角を矯めて牛を殺す」ような低俗劣悪な無自覚の空気には覆われていなかった健全さがあったのではなかったか・・・。過去のみをとやかく言う前に、そこから照らされるまさに今を語るべきではないのか? 今目の前の現実を語ることから皆逃げて、妄想や空想のなかの「リアル感」を語ることに終始してはいまいか?
たとえば、今の現実は、現行の「日本国憲法」をどうするか(改訂すべきか)、とか・・・。官治国家のすがたをどうするかとか・・・。マスコミ人士は自立した思考を、もっともっと活発に披瀝するべきではないのか。最初からどこにあるのかさっぱりわからん客観性だの公正公平さだのにとらわれることなく。
「個性があったんだよ、みんな。今の新聞は読んでいると、気がついたらアカい新聞を読まされているんだよ」(笑)。
2008/08/04 12:46
《産経っていつからこうなったかな。この一、二年の変化だと思うが。
よく産経は右派とか言われるし、そうした趣向もあるのだけど、それよりこの官僚主導型への転換のほうが大きな問題だなと思うのだが。》
■産経社説 【主張】福田改造内閣 税財政改革に司令塔役を - MSN産経ニュース 2008-08-04【finalventの日記】
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080804/1217803348
2008/08/05 00:19
【集計8/4】
■アクセス数
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はて、「ブックマーク」のアクセスが、いつもよりだいぶ多いようで・・・。
2008/08/06 17:07
■タモリあす告別式弔辞 赤塚不二夫さん、6年4カ月ぶり無言の帰宅 サンケイスポーツ 15:04
2日に肺炎で死去した漫画家、赤塚不二夫さん(享年72)の遺体が5日午後8時過ぎ、東京・中落合の自宅に約6年4カ月ぶりとなる無言の帰宅を果たした。
赤塚さんは、平成14年3月末に脳内出血を起こし、文京区の順天堂病院に検査入院して以来、天国へ旅立つまで闘病生活を送っていた。シーツがかけられた遺体が車から降ろされると、集まった親族やスタッフ、漫画家の北見けんいち氏(67)らが“おかえりなさい”とばかりに深く頭を下げた。
付き添った赤塚さんの長女、りえ子さん(43)と、妹の梅原寿満子さん(70)は、憔悴しきった様子。この日、自宅には親交が深かった映画監督の山本晋也氏(69)や漫画家のちばてつや氏(69)らも訪問。遺体は2階のアトリエに花とともに安置され、赤塚さんは久々の帰宅を心許せる仲間と過ごした。
通夜は、6日午後6時、葬儀・告別式は7日午前10時半から中野区の宝仙寺で営まれる。告別式ではタレントのタモリ(62)が、デビュー前から支えてくれた恩人の赤塚さんのために弔辞を読み上げる。そして、その足で新宿スタジオアルタへと向かい、フジテレビ系「笑っていいとも!」に生出演する。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/celebrity/167375/
2008/08/06 20:21
■バカボンのパパに見送られ 赤塚不二夫さん通夜 19:36
2日に72歳で死去した漫画家の赤塚不二夫さんの通夜が6日夜、東京都中野区の宝仙寺で営まれ、漫画家仲間や芸能人、ファンらが多数参列、別れを惜しんだ。
祭壇の両脇には、バカボンのパパやウナギイヌなど赤塚さんが生み出した人気キャラクターのパネルが飾られた。アニメ「ひみつのアッコちゃん」の主題曲なども流され、いつも笑顔だった赤塚さんらしい雰囲気に。
漫画家の藤子不二雄(A)さんは「五十数年間、兄弟みたいにつきあってきた。トキワ荘に一緒にいた当時、彼は純情な美男子で、酒も一滴も飲まなかった。本当に残念だが『これでいいのだ』と言いたいし、彼もそう思っているでしょう」と語った。映画監督の山本晋也さんは「聞いた瞬間に頭が真っ白になることがあるのだということが分かった」と涙を浮かべた。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/167430/
2008/08/07 21:45
■赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文 (1/3ページ) 2008.8.7 11:39
タモリさんの弔辞は以下の通り。
「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないなら、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080807/tnr0808071147002-n1.htm
2008/08/07 21:48
■赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文 (2/3ページ) 2008.8.7 11:39
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080807/tnr0808071147002-n2.htm
2008/08/07 21:51
■赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文 (3/3ページ) 2008.8.7 11:39
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080807/tnr0808071147002-n3.htm
-----------------------------------------------------------------------
合掌。
2008/08/07 21:54
【赤塚不二夫氏追悼対談】「本人自体がギャグ」「強烈なシュール体験」 (1/5ページ) 2008.8.7 07:44
日本のギャグを作った人-。「おそ松くん」や「天才バカボン」など数多くのギャグ漫画を生み出した赤塚不二夫さん(2日死去)が、サブカルチャーに与えた影響は大きい。あまりに大きすぎて見えにくい。コラムニストの泉麻人さんとイラストレーターのみうらじゅんさんに、その作品の偉大さを振り返ってもらった。
◇
■作品との出会い
みうら「僕は小学校のはじめごろかな。『おそ松くん』を読み始めた」
泉「うちは鉄腕アトムと鉄人28号が載ってる月刊の『少年』(※1)をとってたから最初に読んだ赤塚漫画は『まかせて長太』。漫画は1誌と決められていた。小学校2年生のとき、遊びに行った友達の家に『少年サンデー』があって、そこで一気に『おそ松くん』を読みましたね」
みうら「いたよねえ、人の家で何にもしゃべらずに漫画読んでるやつ。うちは一人っ子だから3誌とってて、友達が来てすごく嫌だった記憶がある(笑)」
泉「近所に貸本屋がなかったんです(笑)。友達の家のあとは散髪屋でしたね。待合室に必ず置いてあるから」
みうら「確かに、赤塚さんの漫画って散髪屋の匂(にお)いがする。読みたくってね…いやな髪形にされても」
泉「あえて待たされたい感じ(笑)。いま思えば、『おそ松くん』には、あのころの時代の、大人も子供も変人もうまく共生している感じが出ていませんか」
みうら「〇〇とか××とかいまじゃ活字にできない差別的な表現も多かったけど。差別を差別していなかった。『おそ松くん』には、もう土管が出てきましたっけ?」
泉「土管と原っぱ…高度成長期の象徴ですね。『おそ松くん』を描き始めたころ、赤塚さんは僕の近所の家に下宿してたんですよ。だからあの原っぱがモデルなんだ、と親近感がわきました」
みうら「そうなんだ。確かに東京の感じはした」
泉「東京の山の手と下町のはざまみたいな場所です。『おそ松くん』の背景って結構洋風の家も出てくる」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/080807/gam0808070753000-n1.htm
2008/08/07 21:56
【赤塚不二夫氏追悼対談】「本人自体がギャグ」「強烈なシュール体験」 (2/5ページ) 2008.8.7 07:44
■前衛芸術だった
泉「読み直してすごいと思ったのは、昭和38年ごろの乱闘シーンでコマ割りのスローモーション使ってるの。映画的だよね」
みうら「そういうのを取り入れるのがすごく早い。それまでの漫画にあったルールを壊したよね。ギャグ漫画なのに、急に劇画調になったり。そんなの初めて見たもんね」
泉「演出家ですよね」
みうら「どれだけムチャクチャするか。子供心にその破壊ぶりが毎週楽しみだった」
泉「飛び抜けてましたね」
みうら「新しかったですね。最先端を走ってた。一番初めは全部この人。自分の作品に本人が出るってのも、赤塚さんが初めてじゃないかな」
泉「あと、担当編集者も」
みうら「楽屋落ちでもなんでもありだもんね」
泉「突然、山田一郎ってペンネームに変えちゃったりね。掲載誌までいきなり移っちゃうし(※2)」
みうら「ふざけるにもほどがあるよね」
泉「載せる編集部もすごいですよね。少年漫画誌の隆盛期と一致していたって言うのが大きいんじゃないですか」
みうら「でも、下品な感じはしない。流れているのはジャズな感じ。実験的に漫画を描いたりする感じが、ジャズっぽい。ロックでもフォークでもなく、ジャズなんだよね」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/080807/gam0808070753000-n2.htm
2008/08/07 21:59
【赤塚不二夫氏追悼対談】「本人自体がギャグ」「強烈なシュール体験」 (3/5ページ) 2008.8.7 07:44
■際立つキャラ
泉「『おそ松くん』では、ダ・ヨーンのイジケた役柄なんかいいんだよね」
みうら「赤塚さんの漫画ってキャラクター全員、どこか危ないんだなあ」
泉「単発で変人が出てくる。ドロボーでちょっとオカマがかっているのとか…」
みうら「オカマなんて、それまでの漫画ではあまり出てこなかったよね」
泉「言葉や仕草がまたリアルなんだ」
みうら「僕は最初はやっぱりイヤミでしたね。マネしてたし。『べし』とかも好きだったね。よく考えたら『べし』とかニャロメとか何の意味もなさないですよね。口語をキャラにしちゃう。サブキャラがほかの漫画に比べて豊富ですよね」
泉「キャラクターがしっかりしているから、どんな役柄をやってもハマる。どこの漫画にいってもハマるような感じがする。別の映画とかに入っても負けないような」
みうら「一人一ギャグ持ってるっていうのは吉本新喜劇に似てるかもしれない」
泉「キャラが鼻歌まじりで登場する感じは吉本だね。それと重なるのはクレージーキャッツの世界」
みうら「キャラが立っているというと、『おそ松くん』と『天才バカボン』は強烈。イヤミなんてひどいマイナスキャラだもんね。それがプラスキャラに見える」
泉「サブキャラの方が段々スター化していく。意識的にそういう形にしていったんだと思いますよ」
みうら「『シェー』ってみんなやってましたね。ゴジラまでやってんですからね(※3)」
※
2008/08/07 22:00
※
泉「しかも、意味がない」
みうら「単に音だもんね」
泉「ココロのボスの『ぽっくんぽっくん』っていうのもありましたね」
みうら「わけわかんない」
泉「ウナギイヌもね。そこに何の注釈もない。子供のころにそういうシュールを体験したのは大きいですね」
みうら「それを子供目線で描いてるところがすごい。確実に悪影響ですよね(笑)。作文の時に『シェー』って書いて怒られたことがある。漫画じゃないんだからって。でも、真面目な文章の中に変なこと入れたくてしょうがなくて…」
泉「漫画界の夏目漱石じゃないですかね。親しみやすさから言っても」
みうら「動物も出てくるし?(笑)」
泉「猫目線。ニャロメとかね(笑)」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/080807/gam0808070753000-n3.htm
2008/08/07 22:05
【赤塚不二夫氏追悼対談】「本人自体がギャグ」「強烈なシュール体験」 (4/5ページ) 2008.8.7 07:44
■強烈な影響力
みうら「赤塚さんのサブキャラは描きやすいんですよ。横顔とかないし」
泉「子供のころから描いてた?」
みうら「アトムは描けないけどニャロメなら描ける。漫画が近しい感じがした。昔、自分で描いていたキャラクターをみると全部赤塚さんのマネなんです。ニャロメにマント着せて『なんとかX』とか勝手に(笑)。自分でもキャラクターを作りたくなる」
泉「そういわれてみればみうらくんの描くキャラクターって赤塚さんっぽいよね」
みうら「大きかったですね、赤塚さんは。なんでもありっていっても、枠を超えるってできないこと。大人になってわかったけど、できそうでできない。すごいのは、子供にはできそうに見えてること。そこが魅力なんですよね」
泉「読み直してみると、昔気づかなかったおもしろさに気づく。驚いたのは初期の『おそ松くん』で、トト子ちゃんの気をひくために、チョロ松だけが整形手術して少女漫画の二枚目顔で戻ってくるんです。ほかのでこういう壊し方ってないじゃない」
みうら「日本のギャグを作った人だと思う。歴史的な人物という感じがする」
泉「長嶋茂雄、石原裕次郎、美空ひばりに匹敵するスターですね」
みうら「大スターですよ。『赤塚さんはギャグ漫画』じゃなくて『赤塚さんがギャグ漫画』みたいなところがある。前になし、後にもなし」
泉「ギャグを開花させたのは間違いなくこの人ですね」
※
2008/08/07 22:05
※
みうら「なんでも取り入れて、なんでも流行らせていく。赤塚作品には、価値のないものに価値をつけてみせるアンディ・ウォーホルとか、そういう芸術の匂いがする。小学生の時に体験できたのは幸せでしたね」
泉「なんでもいいのだっていう世界ですから」
みうら「『これでいいのだ』ってもう、お釈迦様以来の真理の発見ですよ。『すべては空なり』の次にすごいと思うね、『これでいいのだ』は」
泉「最終的には本人が漫画のキャラというか、パフォーマーの道へ行くしかなかったんでしょうね」
みうら「手塚治虫さんとは世間的な評価は違う。でも、こういうアバンギャルドなものを生み出した功績は大きい。まったく新しいものを作った人だから、もっと評価されていいと思う」
泉「お札になってもいい」
みうら「僕は赤塚さんがいなかったら漫画描いていない。手塚さんだけだったら、どれだけの人がこの道を断念してたか(笑)。気づいてなくても、意外とルーツが赤塚さんだったってのがけっこうあるんじゃないですか」
泉「作品はもちろん、人間そのものが偉人ですね。だけど、惜しい人を亡くした…みたいな言葉は赤塚さんには似合わないね…」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/080807/gam0808070753000-n4.htm
2008/08/07 22:08
【赤塚不二夫氏追悼対談】「本人自体がギャグ」「強烈なシュール体験」 (5/5ページ) 2008.8.7 07:44
◇
【プロフィル】みうら・じゅん
イラストレーターなど。本名・三浦純。昭和33年、京都生まれ。武蔵野美大在学中に漫画雑誌「ガロ」でデビュー。エッセイスト、ミュージシャン、ライターなどとして幅広いジャンルで活躍している。
◇
【プロフィル】泉麻人さん
いずみ・あさと コラムニスト。昭和31年、東京生まれ。近現代の社会風俗に関する著書多数。6月に『シェーの時代-「おそ松くん」と昭和こども社会』(文春新書)を刊行した。
◇
(※1)昭和21年創刊の光文社の少年漫画誌。「鉄腕アトム」「忍者ハットリくん」などの連載で人気を集めたが、43年に休刊。
(※2)昭和44年、「天才バカボン」の掲載誌が「週刊少年マガジン」(講談社)から「週刊少年サンデー」(小学館)に変わった。ライバル誌による人気作品引き抜きが話題に。平成19年に発売された「天才バカボン」のベスト版は両社がコラボ刊行した。
(※3)昭和40年に公開された「怪獣大戦争」には、ゴジラが「シェー」をするシーンがある。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/080807/gam0808070753000-n5.htm
2008/08/07 22:12
■赤塚不二夫さん通夜 8月6日 21時31分 NHK 科学・文化
「おそ松くん」や「天才バカボン」など数々のギャグ漫画で一世をふうびし、今月2日、72歳で亡くなった漫画家の赤塚不二夫さんの通夜が6日、東京で営まれ、赤塚さんを慕う漫画家やファンの人たちが別れを惜しみました。
赤塚さんの通夜は6日午後6時から東京・中野区の寺で営まれ、赤塚さんと親交のあった漫画家仲間やファンなどおよそ1200人が参列しました。祭壇には赤塚さんの遺影の脇に「バカボン」や「イヤミ」など赤塚漫画の人気キャラクターのイラストが飾られ、訪れた人たちは祭壇に向かって手を合わせて赤塚さんのめい福を祈っていました。参列したファンの1人で50代の女性は、「小学生のころ『ひみつのアッコちゃん』が大好きでした。楽しい夢をありがとうといいたいです」と話していました。また、近くに住む32歳の男性は、「『天才バカボン』の底抜けに楽しい世界観がすばらしいと思います」と話していました。葬儀委員長を務める漫画家の藤子不二雄Aさんは、「50年来のつきあいで兄弟みたいなものだったので、本当に残念です。気持ちの大きな男で周りにいろんな人が集まり、それが作品にも影響を与えたと思います」と話し同じ「トキワ荘」時代を過ごした仲間の死を悼んでいました。赤塚さんの葬儀は7日午前、東京の同じ寺で行われます。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013381411000.html#
2008/08/07 22:13
■赤塚不二夫さんの引揚原画展 8月7日 6時8分 NHK 科学・文化
8月、亡くなった漫画家の赤塚不二夫さんが終戦後、旧満州から引き揚げしたみずからの体験などを描いた原画の展示会が、京都府舞鶴市で開かれています。
赤塚さんは旧満州で生まれて終戦とともに日本に引き揚げ、平成10年、京都府舞鶴市の舞鶴引揚記念館に当時の様子などを描いた原画6枚を寄贈しています。記念館では、今月2日に亡くなった赤塚さんをしのんでもらおうと、寄贈された原画の展示会を6日から開いています。このうち、赤塚さん兄弟が母親といっしょに奉天駅まで歩く様子を描いた作品は、赤塚さんらしいコミカルなタッチながらも家族の顔はみな真剣で、小さい体に大きなリュックサックを背負って歩くたくましい赤塚さんが描かれています。また、「はじめて見た内地は箱庭みたいにきれいだった」という作品は、船に乗った赤塚さんが海の先に広がる長崎のまちを初めて目にした様子が描かれ、当時の赤塚さんの感動が伝わってきます。舞鶴引揚記念館の井野玲子さんは「赤塚さんが亡くなったと聞いたときはとても残念でした。この展示を通じてファンの人たちに伝わるものがあると思います」と話していました。この展示会は今月31日まで開かれています。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013383191000.html#
2008/08/07 22:15
■赤塚不二夫さん告別式 8月7日 12時26分 NHK 科学・文化
「おそ松くん」や「天才バカボン」などのギャグ漫画で知られ、今月2日、72歳で亡くなった漫画家の赤塚不二夫さんの告別式が、7日、東京で営まれ、赤塚さんの友人やファンの人たちが最後の別れを惜しみました。
告別式は7日午前10時半から東京・中野区の寺で営まれ、赤塚さんを慕う漫画家や芸能界の友人、それにファンの人たちなどおよそ1100人が参列しました。式では親交の深かった人たちが弔辞を述べるなか、赤塚さんに見いだされて芸能界にデビューしたタレントのタモリさんは、本名の森田一義さんの名前で赤塚さんの遺影に向かい、「初めて会ったとき、わたしに『お笑いの世界に入れ、自分のマンションに住め』と言ってくれました。自分の人生にも他人の人生にも大きな影響を与える決断をするあなたにどぎもを抜かれました。ほんとうにお世話になりました。わたしもあなたの数多くの作品のひとつです」と語りかけました。会場の外にはファンのための焼香台も設けられ、訪れた人たちは手を合わせて赤塚さんのめい福を祈っていました。千葉県から来たという40代の男性は「天才バカボンなど独特のナンセンスなギャグがとても好きでした。もう見られなくなると思うと寂しいです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013389021000.html#
2008/08/07 23:06
《白紙なんだよね。。すごいよタモさん 》
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2008/08/post_f5d5.html
2008/08/07 23:35
【当世デジカメコラム】青梅赤塚不二夫会館 2008/08/07 10:05【産経新聞 都内地域ニュース】
http://tonai.iza.ne.jp/blog/entry/671089
2008/08/08 14:37
■赤塚さん告別式 タモリ弔辞、気丈にいいとも出演 サンケイスポーツ 09:29
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/167915/
2008/08/08 17:41
【タモリ 弔辞】
http://find.2ch.net/?STR=%A5%BF%A5%E2%A5%EA+%C4%A4%BC%AD
【社会】 タモリ「人生初の弔辞があなたへのものとは…」…赤塚不二夫さんへの8分間の弔辞の紙、実は白紙だった?(全文掲載)★2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1218182827/
【朝日】 asahi.comがタモリ(62)の読んだ弔辞を微妙に改ざん
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1218178272/
2008/08/09 16:34
【産経抄】8月9日
赤塚不二夫さんが中国大陸の万里の長城近くで生まれたころ、父親は特務警察官だった。抗日ゲリラ対策で旧熱河省の僻地(へきち)を転々としていた。家にはピストルや手榴弾(しゅりゅうだん)が置かれ、母親は何かあったらこれで死ぬよう、言われていたそうだ▼終戦時には奉天(瀋陽)の消防支所長だったが、ソ連軍によりシベリアに送られた。当時10歳だった赤塚さんは母親に手を引かれて日本に帰る。中国から引き揚げた漫画家らが綴(つづ)った『少年たちの記憶』という本に書かれた、重々しいまでの赤塚さんの生い立ちである▼しかし赤塚さんの漫画に出てくる人物たちは、それと対照的なほどに明るく軽やかだ。バカボンのパパだけでなく、やたらピストルをぶっ放す不良警察官もまったく憎めない。ヤクザの親分、ギャング、ドロボウといった「悪党」たちもどこか抜けていて人が良いのだ▼7日に行われた赤塚さんの告別式で、赤塚さんに才能を見いだされたタモリ(森田一義)さんが弔辞を捧げた。それによれば、赤塚さんの生活はすべてギャグだった。「すべての出来事、存在を前向きに肯定し、受け入れる」というのがその考え方だったという▼その結果、人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになる。そのとき、その場が異様に明るく感じられると述べた。ひょっとしたら、赤塚さんは心の底に残る少年時代の重苦しいものを吹き飛ばすため、あんな明るいキャラクターを生み出したのかもしれない▼そればかりでなく、昭和後期の社会の良いも悪いもすべて受け入れ、ギャグで明るく軽く変えたような気がする。だがタモリさんの方は、ギャグを完全に封印して弔辞を読んだ。それがいっそう、悲しみの深さを物語っているように思えた。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/168217/
2008/08/09 16:42
>ひょっとしたら、赤塚さんは心の底に残る少年時代の重苦しいものを吹き飛ばすため、あんな明るいキャラクターを生み出したのかもしれない
ばかやろうッ! しっかりと受け止め忘れることができないからこそ、つねに前を見ていたということではないか。「吹き飛ばす」だけのカラ元気だけなら、だれでも「イノベーター」になれるということを言っているに等しい。そんなわけはない。受け売りの感想を書いてんじゃねえよ。この糞偽善憶測エセ売文屋め。
《あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。》(タモリの弔辞から)
リアルなウソでない歴史を背負ってる人たちの「ほんまもん」のコトバはちゃんと伝わるし残るし、さらにそれから何かを惹起するのである。
《みうら「僕は赤塚さんがいなかったら漫画描いていない。手塚さんだけだったら、どれだけの人がこの道を断念してたか(笑)。気づいてなくても、意外とルーツが赤塚さんだったってのがけっこうあるんじゃないですか」》
コトバ(表現)で、今を照らせ。
2008/08/09 16:48
本当に不幸な体験を被ってしまったものは、それを他者に語ることも知らせることも厭う気持ちが強いのだ。ましては、当然、そういう目に人を合わせてはいけないという気持ちも人一倍強いのである。それは「気持ち」や「感情」を感ずかせるということにおいてでもある。不幸な目にあわせたり、無用にひとに不安をいだかせるということもだ。いまの「情報流通屋」ってのは、どれほど卑しい、非創造的な所業を延々繰り返しているか、すこしは肝に銘じておくべきだと思う。そういう卑しい所業を避けられない職業についているという自覚を持って。
2008/08/09 16:54
《ジャーナリストは他人の不幸をネタに食っている》
http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/562182/
《「もう正義と人道を制度にするほど悪徳には慣れてしまった」(byどっかの国の・・・) 》
http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/551873/
2008/08/09 17:11
【追悼・赤塚不二夫さん】(産経8/9付文化面)
■笑の底に人間味
アニメーション作家・漫画家 鈴木伸一
《赤塚さんの漫画には、ナンセンスの中に社会風刺性が潜んでいることを見逃してはならない。
カラッとした笑いは社会を明るくしてくれる。面白い漫画やキャラクターが時代を示すランドマークになる社会現象にまでなっていく状況を、赤塚さんは示してくれた。その一連の作品を越えるもの描くのは容易なことではないが、若い漫画家には、この巨大な壁に挑戦してほしいものだ。赤塚さんもそれを望んでいるに違いない。》
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そんなに心配したもんでもあるまい。キャラクターはちゃんとひとり立ちしている。「ポケモン」にしろ「遊戯王」にしろ「ドラゴンボール」にしろ・・・。いまや「マンガ」は、立派に、日本発の文化になっていると思う。それがますます興隆するも衰退するも、あとは「市場」のなかの人間の行動しだい。余計なピンハネ屋コバンザメ商法の既得権を保護するような過度な介入を忌避しておけばいいだけだ。
ドラゴンボールのゴクーに感化されたテニスのナダルのような選手もいるのだし・・・(笑)。テニスそのもののプレーの美しさはフェデラーのほうが好きなんだけどね。先日のウインブルドンの死闘は凄いのひと言に尽きる。決勝までのあの美しいプレーのフェデラーが嘘のようなまったく別人のような苦渋にみちた試合をやってた。昨年の決勝戦とは大違いの。
2008/08/09 17:17
4年に一回の、世界の一番を決める大会、ってのに、なんでこんなにワクワクしてしまうのだろう・・・。正直なところ、もう、開催国がどこだろうと、どういうカネや思惑が絡んでいようと、そんな邪念がぶっとんでしまう何かが五輪やワールドカップにはある、と思う自分がいる。戦う以上は、「参加することに意義がある」なんていう甘っちょろいコトバはよしてよしこちゃん。負け戦は最初からやるな。出る以上は、勝ちに行け。勝たなきゃ、ツマンナイ。
2008/08/09 20:06
■[書評]これでいいのだ(赤塚不二夫) 2008.08.08【極東ブログ】
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/08/post_c383.html
《――ぼくは死に際に、誰かに呼びもどされるのかな、それとももういいだろうと念を押されて行くのかな……。
ふとそんなことを考えた。それはぼくが東京へ出てきて、初めて持った不思議な自分の時間だった。》
そのどちらでもなかったような・・・。
2008/08/09 20:38
■赤塚不二夫のこと 2008.08.09【極東ブログ】
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/08/post_5e91.html
《赤塚不二夫が亡くなっていろいろな感想をメディアやネットで見た。私はあるズレを感じた。自分が何か正しい感覚を持っているというようなことではない。なんだろうこのズレの感覚はと自分を訝しく思った。》
《うわっついたバカを装いながらインテリ特権意識で女を口説いていた当時の大学生の愚劣さと、それにのっかっていた薄ら左翼のオヤジども、青島幸男だの大橋巨泉、野坂昭如、前田武彦、永六輔などは私の嫌悪の対象だった。赤塚不二夫は本当はそういう人たちに汚れるべき人ではなかった。》
《アニメを別にすれば、赤塚不二夫の作品は60年代で終わっている。もちろん、アニメ作品をもって赤塚不二夫の作品としてもいいだろう。私はポケモンに原作が存在するのか知らない。クレヨンしんちゃんはアニメのほうが原作じゃないのかとも思っている。
赤塚不二夫の作品は60年代で終わっているということはどういうことなのか。8月4日付け読売新聞記事”追悼・赤塚不二夫さん 本当にサヨナラなのだ(評伝)”が興味深いというか踏み込んだ書き方をしていた。》
《「マジ~メな人間だから、人間にとっての笑い、面白さとは何かをずーっと考えられるんですよね。」》
《本当にすごい奴(やつ)は、バカの面しか人に見せない。》
《この光景が終生脳裏を離れなかった》
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この世代のメンタリティーには、何か羨ましさを感じてしまう・・・。人前で涙を見せることは恥だという頑固なまでの信条をもった赤塚と同世代の私の父もまた、中国残留孤児のテレビ映像の前で、人目をはばからず泣いていた姿を、ふと思い起こしている・・・。みな共通してもっていた「欠乏感」や「欠落感」や「飢餓感」があったのかもしれない。染み付いて離れない忘れることのできない「感情」や「情念」が。
2008/08/10 16:40
■赤塚不二夫の満州 2008.08.10【極東ブログ】
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/08/post_c1b4.html
《父・藤七はシベリア抑留となり、日本への帰還は母リヨ一人の手によることになった。子供がはぐれないようにつかまっていたという。書籍「これでいいのだ」の裏表紙の絵はこれを表現したものだろう。本書の読後に見ると涙がこぼれてくる。手を離せば残留孤児となったかもしれない。》
《その思いを抱えて生きるということが戦争というものの一つの意味なのだろう。》
「国民総ぐるみ」「国民総がかり」のマスゲームにうっとりしてる3K君は誰だ?(笑)。 [つれづれすくらっぷ]
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by 9月
【パンデミック幻想の黄昏】「…